2024年06月17日

if then else end

■差し出されたものに。

近所に個人経営の珈琲店がある。
こだわりのお店らしく、厳選した豆を挽きたてのうちに販売してくれるというものだ。
量販店で売ってるような豆と比べると些か値段は張るが、素人にも品質が違うことは分かり
ここ1年かそこら、月に1,2度のペースで利用をしていた。

していた。

ある日、購入した豆とは別に2,3杯分程度の少量の豆を一緒に包んでくれた。
新しい豆で、私が普段よく買っている豆と味の傾向が近いらしい。
よろしければお試しください、と控えめに老店主は差し出してくれた。

私は。
この店の豆がいかに気に入ってるかを饒舌に語り、
店主のこだわりを語ってもらえるよう水を向け、
頂いたサービスに深く礼をし。

そしてその日以降、店に足が向かなくなった。


■いい店だったのに

ネット上に次のような内容のスレッドがある。
いきつけの定食屋で「いつもありがとう」と言われたのが原因で「もう行けない」というものだ。

私は、強く共感する。

友人とも何かの折に似た様な会話をして、共感を得たことがあった。
わかるわかる。あれ、もう無理になっちゃうよね。

勿論そう感じない人もいる事は理解しているものの、その気持ち自体は誰もが共感し得るくらい当たり前のことだと思っていた。
「自分はそうは思わないけど、そう思う人もいる事はわかるよ」みたいな。
が、どうやらそうではないらしい。
世の、決して少なくない人間にとってこの気持ちは完全に理解の埒外であるらしい。

そんなバカな。

しかし、改めて何故と問われると自分自身、理由が判然としないことに気づく。
当たり前すぎて理由を考える事すらしなかったが、なぜ自分は「無理」なのか。

どうして自分は、これを書いている今もなお、あの珈琲店に足が向かないままなのか。


■覚えられるのは構わないけれど

「行きつけの店で声をかけられるのが嫌」というのも、どうやら複数のパターンがあるようだ。

一つは、覚えられていること自体が嫌というケース。

ただし個人的にはこれは当てはまらない。
例えばコンビニのような小規模な店で毎回同じものを買っていれば嫌でも覚えられるだろうし
あだ名の一つもつけられているかもしれない。
けれどそれは、地球の裏側で起きていることに対して共感するのが難しいように、
自分の知らないところで自分が覚えられていようと、どう思われていようと気にすることは逆に難しい。

そしてもう一つ、異なるケースがある。
定義済処理から外れる事へのストレスだ。


■分岐処理

客であるという立場を笠に着て横柄に振舞う人がいる。
あれには眉をひそめてしまう。
我も人、彼も人。
そこに構造上の優位性が生まれるのだとしても相手を尊重した振舞いをすべきだと思う。

一方で、相手を一人の人間として認識し尊重しながら、まるで自動販売機のように関心を持たない矛盾がある。

相手を、機能を提供するインターフェースとして扱っているのだろう。
商品を売る、サービスを提供する、といった機能を果たすことだけを相手に求めている。
それは自分自身さえも例外ではなく、主には代金を払うという機能を、恙なく果たすことに専念している。
機能と機能の交換を滞りなく果たすにあたり、ルールに沿ってさえいれば余分なことを考える必要はない。
これをください。支払いはカードでお願いします。ポイントカードは結構です。ビニール袋もいただけますか。ありがとうございます。

だが、そこにコミュニケーションが生まれると例外処理が発生する。

「いつもありがとう」
お礼の言葉に対してなんと返すのが適切か?

「よければこの珈琲豆も試してみてください」
ちょっとしたおまけに対しどう反応するのがふさわしいか?
行く頻度を増やした方がいいのか?ついでに一品買うべきか?

急遽想定していない判断処理が発生し、脳は過負荷に陥る。
プログラムは想定されていないデータが入力されればエラーに陥る。
それを回避するため、急遽入力された値に対して分岐処理を追加しなければいけない。

「いつもありがとう」
この店の豆がいかに気に入ってるかを饒舌に語る、処理を追加する。
「よければこの珈琲豆も試してみてください」
店主のこだわりを語ってもらえるよう水を向ける、処理を追加する。
頂いたサービスに深く礼をし、処理終了。

長年こうして生きてきた、この道のプロだ。ここまでのコーディングは高速に行える。
おそらく傍目にはそこにタイムラグはないだろう。
最初から用意してあったかのように。あるいは処理など必要とせずにアドリブで返しているように。
それでも急なコード修正に脳はクタクタで、次回以降もこれが発生する可能性を思えば足は遠ざかる。


結局のところ。
コミュニケーションが自動的である癖に、
事前定義から外れたデータを無視もできず、
咄嗟に例外処理を組んでしまう程度には人にいい顔がしたいのだろう。

そうして私は、また来ますと言って去った店にもう行かなくなる。



まあだから、どうという話でもない。
今更何か直せるような話でも、直そうと思う話でもない。
ただ自分が何を思い、なぜそうするのかが分かったという、ただそれだけの話。
posted by ポワロ at 01:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月14日

ミルクセーキ

■甘さ控えめではない

ミルクセーキという飲み物がある。
牛乳、卵に砂糖、ちょっと気を利かせるなら更にバニラエッセンスを加えて混ぜるだけのシンプルな飲み物だ。


近年では少し時期もズレたようだが、私が中学生の頃は12月あたりから雪が降り始め2月過ぎまで積もったままだった。
そうなると登下校は自転車から徒歩になり、月に1度程度雪かき当番がある。
まだ暗いうちから家を出て吹雪の中登校するのだが、それは今回重要ではない。

その日、自転車に乗っていた。
なので時期的には雪が降りだす前、11月末というあたりだろうか。
吹き付ける風に唇の震えが止まらなかった、あの寒さを昨日のことのように覚えている。

私は部活動でハブられていた。


■右に同じ

通っていた中学では部活動参加が義務付けられていた。
演奏がしたい、将棋が好きだ、家庭科に興味がある、そういった強い希望を持つ生徒は文科系の部活に入る。
あるいは運動神経に自信がある生徒、人より目立ちたい生徒はバスケットやサッカー、テニスのような花形部活に入る。
そのどちらでもないごく普通の生徒は、なんとなくそれ以外の運動部に入るのがお決まりだった。
花形部活はついていけそうにないけど、文科系は暗そうだから。
明文化されることのない、あるかないか分からない「空気」に従う生徒が大半で、私もその例に漏れなかった。
そうやって消極的に、消去法的に選ばれた部活動には似たような生徒が集まるもので、上級生から下級生まで等しく似た者同士だった。

あまり主張せず、目立たず、皆と異なることを嫌う。
昼食となればクラスで机を寄せ合い、一人で食べたりはしない。
道を歩けば全員が横並びで、自分だけが列から外れることを厭う。

改めて思い出すと笑いが出るが、中学生の自分にとっては切実な処世術だった。
ウン年後のお前は、一人焼肉も一人居酒屋も一人遊園地だってやってるぞ。一人ベイブレードはまだだけど。

閑話休題。
部活動は別に面白くもなかったが、そこは悪目立ちしたくない一心でやっているものばかり。
さぼる人間もおらず、風邪でもなければ毎日の放課後を義務的に消化していた。

とは言えそれなりの人数が集まればイレギュラーは発生するもの。
二人、部活には来るが練習には全く出ない同級生がいた。
苗字が少々珍しいので、便宜上X、Yとする。

XとYは、部室に籠って雑誌を読んでいるのが常だった。
部室には来ているのだが練習している姿を見たことはなく、練習が終わる頃にはいつのまにかいなくなっていた。
不良と言うほどではないものの少々物言いが乱暴。
少なくとも部活動というコミュニティにおいては「皆と違う」タイプであり、親しくすることもまた「皆と違う」ことを意味していた。


■人の噂も75日

中1は過ぎ、中2になってすぐ上級生は1回戦負けの引退、さて最上級生だというのもつかの間
あっという間に自分たちの引退も見えてきた中2の11月。
私は部活動でハブられていた。

今となっては理由は全く覚えていないが、部活全体からハブられていたことを思うに何かしら自分に非があったのだろう。
あるいは、単に攻撃出来る理由があっただけかもしれないが。
いずれにしても皆と同じであるために入った部活動において、分かりやすく孤立した事は中学2年生の自分にとっては辛いことだった。
帰り道「人の噂も75日」とボヤきながら、嵐が過ぎ去るのを耐え忍んでいたことを覚えている。

そんな日々を1週間、1か月、あるいはもっと続けた後、ある日我慢しきれず大泣きをした。

おおびっくり。こんなに泣けるものか。
中学生にもなると泣くのは恥ずかしいという自尊心があり、泣くことなど早々あるものではない。
だが泣いた。
正確には、涙がこらえられないことを悟ると競技場から逃げ出し、部室に駆け込んだ。

XとYがいつも通り雑誌を読んでいた。

探せば誰もいない場所もあったのかもしれないが、冷静にそこまで考えるほどの余裕があれば泣いてなどいない。
腹痛を我慢して我慢してようやくトイレに入った時のように、部室に入った自分はもう泣くことが止められなかった。
さすがにXもYも雑誌を読むのを止めていた。

目の前に大泣きする人間がいたらどんな対応を取れるだろうか。
見なかったことにしてその場を離れるか、とりあえず声をかけるかのせいぜい二つだろう。
そして二人は後者を選択した。

なぜ自分がハブられていたのか一切思い出せないので、
その時二人にどんな話をしたのかも当然ながら全く覚えていない。

ただし二人の反応は覚えている。
怒った。
こちらがちょっと引くくらいの勢いで怒った。
部活動に来ても部室に籠りきりだった二人は、私がハブられていることも全く知らなかったようで
これまでのあれこれを聞くや激怒した。

え?そんな怒る?
別に友達とかでもなかったよね?
というかちゃんと話すの自体これが初では?

今から部活に乗り込んで暴れ出しそうな勢いだったので、逆にこっちが止めることになった。
いや自分が悪いんだよとかなんとか言ったかもしれない。
二人をなだめるのに必死なうちに涙は止まっていた。

説得のかいあってか、あるいはそういうポーズをとっただけだったのか、いずれにせよ二人は殴り込みを思いとどまった。
ほっと一安心、空気が弛緩したところで
「じゃあ帰るか」
まだ部活中なんだけど?

―――帰ることになった。


■ミルクセーキ

思えば部活動への所属は必須であっても部活への参加は必須ではないので、別に休もうが帰ろうがそれは自由な話だった。
ましてうちの部活動は顧問もほとんど来ないので、参加はあくまで生徒の自由意思だった。
しかし部活途中で帰るという発想はなかった。
なにせ皆が毎日参加して、練習終わりまで残っている。
そこを自分だけが抜け出すなんてことをすれば浮いてしまう。皆と同じではなくなってしまう。
人と違うことはしたくない。たとえハブられていて、針の筵のような時間にあっても。
あるいは、部活動を早退して家に帰ることで親に心配をかけたくないという気持ちがあったのかもしれない。

けれどその時、「帰るか」という言葉に自分は何の抵抗もなく乗った。
そうか、帰っていいのか。

そうして、2年以上同じ部活にいたのにほとんど会話したこともない同級生と並んで自転車に乗っていた。
違和感しかない。

何か相談したわけでもなく、校門を出たところで自然と「じゃあどこにいく?」という話になった。
しかしこちらは部活早退初心者、この時間からどこかにいく選択肢を持ちあわせていない。
黙っていると、XとYは二人がよく行くルートに連れて行ってくれた。

来た事のない書店の、店先にあるアーケード筐体。
今はあまり見かけないが、4つのゲームが入っていて選べるようになっていた。
別に買うものもないようなホームセンター。
板とか見てどうするんだ?
エトセトラエトセトラ。
二人の家にも行ったが、家族が帰ってきたところでお暇した。
二人にも色々あったのだろう。
そして最後に、二人の家の近くにある公園に到着した。
それまで、二人が中学のすぐ近くに住んでいることも、小学生からの友人同士であることも知らなかった。

寒かった。
まだ雪は降っていなかったが吹き付ける風は痛く、唇の震えは止まらなかった。

XだったかYだったか、近くの自販機で買ってきたホットドリンクを投げよこしてきた。
ミルクセーキという聞きなれないドリンクだった。
二人のおすすめだというそれは、中学生の自分でも甘すぎた。
けれど、暖かだった。


■冴えないその後

物語であれば、XとYとは以降無二の親友となり、大人になってからミルクセーキを一緒に飲むところだが
生憎そうはならなかった。

始まった理由も思い出せない部活動でのハブりは、やはり終わった理由も思い出せないまま唐突に解決した。
覚えていないだけで私が何かしたのかもしれないし、あるいは特に理由もなかったのかもしれない。
75日は続かなかったと思う。

そうして「皆と同じ」に戻れた自分はどうしたのかというと、どうもしなかった。
自分をハブってきた皆と決別することもなく、苦しい時助けてくれた二人との距離を詰めることもなく。
ただ漫然と中学を卒業し、皆とも二人とも別れ、新しい人間関係を構築した。

全く冴えない顛末だと思う。
それでも、あの時のミルクセーキの暖かさを忘れることはないだろう。



それはそうとして、ミルクセーキとは本来冷たい飲み物らしい。
それでも自分はホットのミルクセーキこそ本物であると言いたい。
寒かったあの日、確かに暖かさが嬉しかったから。
posted by ポワロ at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月12日

100万円払ってでも食べたいコロッケ

何回目かの母の日に。
自分の心の整理のために。











■いも、たまねぎ、ひきにく

しばしばコロッケを買う。

新しくできたスーパー、肉屋の惣菜、物産展のちょっとお高めのものも。
というとコロッケが好物のように聞こえるかもしれないが別にそうではない。
むしろ最近揚げ物が日に日に苦しくなってきた。食べるとお腹の調子が悪くなる。

けれどコロッケを買う。

というのもコロッケ自体は好物ではないけれど、母の作ったコロッケは好物だったからだ。
いつも食べては、母のコロッケの方がずっと美味しかったなと思う。
昔「店をやれば売れるのに」と言ったことがあるが、これは身内びいきではなく今でもそう思う。
そうしていればあるいは今頃コロッケ店の経営をしていたかもしれない。


■1分でも短い滞在

遡って遥か昔、地方から東京に上京してきたばかりの大学生だった自分は帰省を疎んでいた。

一つは念願かなって上京した東京が楽しすぎたから。
当時今ほどにはインターネットも普及しておらず、
秋葉原は地元では到底味わえない濃密なオタク文化だった。
アニメもなんでも映るし。
配信サービスはまだなく、地方では放映されなかったり、されても何か月以上もタイムラグがあったりした。

もう一つには単純にお金がなかった。
たくさんバイトをすればいい話なのだけれど生来怠け者であるので一生懸命働くよりも貧しさを甘受した。
結果として日々の食費にも事欠くありさま。
貧乏生活としてもやしがよく上げられるが真に貧乏になるともやしすら出てこなくなる。

というわけで長期休暇のたびいつ帰ってくるのと聞かれると「お金がないので無理」が回答だった。

結果、母から切符が送られてきた。
こうなってはさすがに帰らないわけにもいかない。

とは言え、戻る先はゲーマーズもラオックスも石丸電気もクラブセガも、とらのあなもK-booksだってない地元。
アニメもろくに映らない。

なにより一人暮らしの自由を味わった後で実家で家族と過ごすのは楽しみよりストレスが勝る。

なので帰省をする時は、行きは出来るだけ夜遅く、帰りはできるだけ朝早く出発するのがお決まりだった。
ただ、東京に戻る前日の夜は決まって子供の頃から好きだったコロッケを作ってくれた。
帰り道用にとおにぎりと一緒にいくつか持たせてもらい、それは素直に楽しみだった。

そのような、大学生としてはちょっと幼児性の強いふるまいを何度か繰り返した後無事に、でもなく社会人になった。
社会人として初めての会社は今振り返っても、というか今振り返ってこそ間違いなくブラック企業で今度は帰省する時間が無くなった。

土日は休める、時もあった、ので土日だけなら帰れなくもなかったが東京から実家の往復にはかなりの交通費がかかる。
労働時間を考えるとアルバイトした方がよほどマシなレベルの給料で働いていた身としては
土日だけちょっと帰るのはハードルが高い。
さすがに仕事が忙しいと言うと、母ももう切符を送ってはこなかった。

正月くらいは帰れたり帰れなかったり、そのような社会人生活を何年か繰り返した後。
母に重い病気が見つかった。


■特別でない食卓

病名を聞いた時、専門知識がない自分でもそれが命に係わる重い病気であることはすぐ想像できた。
スマホはまだ持っていなかったので家に帰ってインターネットで調べなおしたところ、残念ながらそれが杞憂でないことはすぐに確認が取れた。
とはいえ明日明後日、すぐにどうなるという話でもなかった。

こうなると時間がなかろうとお金がなかろうと弊社がブラックであろうと全てが二の次になるもので
毎月どこかの土日には必ず帰省しお見舞いに行くようになった。
ただ当然ながら、帰省中の食卓に母の料理が並ぶことはない。

毎月のお見舞いを何度か繰り返したところで一時的に退院できるという話になった。
寛解という説明を母から受けたが、その説明が事実だったかはわからない。
いずれにしても一時的に退院し、久々に母の料理が食卓に上がった。

ただ、その時の自分にはそれが最後になるという想像が、今思えば不思議なほどになかった。
その食卓は特別な、記憶すべき何かではなく、これからも続いていく食卓の1回でしかなかった。
なので何を食べたのか、どういう会話をしたのかは全く覚えていない。
病気で食事にも制限が付き、食べること自体が難しくなっていた母が
ほとんど口をつけていなかったことだけは覚えているのだが。

ほどなくして母は病院に戻ることになり、また何回かのお見舞いを経た後亡くなった。
亡くなった夜、病院に駆け付けた祖母から「次退院出来たらアレを作ってやりたい、コレを作ってやりたいという話ばかりしていた」と聞かされた。

自分にとって1分でも短くしたかった帰省は母にとっては大事な時間だったらしい。


■コロッケのレシピ

というのもだいぶ昔の話。
母の日が来ても今更心乱されることはない。

けれど、今はもう好物ではなくなったコロッケを見かけるたびに買い、やっぱり母のものより美味しいものはないなと落胆する。
おそらくこの欠落感は死ぬまで埋まることがないのだろう。

コロッケを作る時、いつも自分はパン粉をつける手伝いをしていた。
母が整形し、小麦粉をまぶし、卵液にくぐらせる。
そして自分は最後にパン粉をつける。
これだけは反抗期だろうと、気乗りのしない帰省の時だろうと、変わらず自分の仕事だった。
じゃがいもを蒸かし、玉ねぎとひき肉を炒め、じゃがいもと混ぜ合わせる。
その工程も横で見てはいたのにレシピを聞くことはついぞなかった。
作って貰えなくなる時がいつか来ることを知ってはいたはずなのに、想像は出来ていなかった。
あの味がもう一度食べられるなら、100万円払っても惜しくはないのだけれど。

今日の夕食はどこか、買ったことのない店のコロッケにしよう。
かさぶたを剥がすように。
きっとまた落胆するのだけれども。
posted by ポワロ at 02:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする