2024年05月12日

100万円払ってでも食べたいコロッケ

何回目かの母の日に。
自分の心の整理のために。











■いも、たまねぎ、ひきにく

しばしばコロッケを買う。

新しくできたスーパー、肉屋の惣菜、物産展のちょっとお高めのものも。
というとコロッケが好物のように聞こえるかもしれないが別にそうではない。
むしろ最近揚げ物が日に日に苦しくなってきた。食べるとお腹の調子が悪くなる。

けれどコロッケを買う。

というのもコロッケ自体は好物ではないけれど、母の作ったコロッケは好物だったからだ。
いつも食べては、母のコロッケの方がずっと美味しかったなと思う。
昔「店をやれば売れるのに」と言ったことがあるが、これは身内びいきではなく今でもそう思う。
そうしていればあるいは今頃コロッケ店の経営をしていたかもしれない。


■1分でも短い滞在

遡って遥か昔、地方から東京に上京してきたばかりの大学生だった自分は帰省を疎んでいた。

一つは念願かなって上京した東京が楽しすぎたから。
当時今ほどにはインターネットも普及しておらず、
秋葉原は地元では到底味わえない濃密なオタク文化だった。
アニメもなんでも映るし。
配信サービスはまだなく、地方では放映されなかったり、されても何か月以上もタイムラグがあったりした。

もう一つには単純にお金がなかった。
たくさんバイトをすればいい話なのだけれど生来怠け者であるので一生懸命働くよりも貧しさを甘受した。
結果として日々の食費にも事欠くありさま。
貧乏生活としてもやしがよく上げられるが真に貧乏になるともやしすら出てこなくなる。

というわけで長期休暇のたびいつ帰ってくるのと聞かれると「お金がないので無理」が回答だった。

結果、母から切符が送られてきた。
こうなってはさすがに帰らないわけにもいかない。

とは言え、戻る先はゲーマーズもラオックスも石丸電気もクラブセガも、とらのあなもK-booksだってない地元。
アニメもろくに映らない。

なにより一人暮らしの自由を味わった後で実家で家族と過ごすのは楽しみよりストレスが勝る。

なので帰省をする時は、行きは出来るだけ夜遅く、帰りはできるだけ朝早く出発するのがお決まりだった。
ただ、東京に戻る前日の夜は決まって子供の頃から好きだったコロッケを作ってくれた。
帰り道用にとおにぎりと一緒にいくつか持たせてもらい、それは素直に楽しみだった。

そのような、大学生としてはちょっと幼児性の強いふるまいを何度か繰り返した後無事に、でもなく社会人になった。
社会人として初めての会社は今振り返っても、というか今振り返ってこそ間違いなくブラック企業で今度は帰省する時間が無くなった。

土日は休める、時もあった、ので土日だけなら帰れなくもなかったが東京から実家の往復にはかなりの交通費がかかる。
労働時間を考えるとアルバイトした方がよほどマシなレベルの給料で働いていた身としては
土日だけちょっと帰るのはハードルが高い。
さすがに仕事が忙しいと言うと、母ももう切符を送ってはこなかった。

正月くらいは帰れたり帰れなかったり、そのような社会人生活を何年か繰り返した後。
母に重い病気が見つかった。


■特別でない食卓

病名を聞いた時、専門知識がない自分でもそれが命に係わる重い病気であることはすぐ想像できた。
スマホはまだ持っていなかったので家に帰ってインターネットで調べなおしたところ、残念ながらそれが杞憂でないことはすぐに確認が取れた。
とはいえ明日明後日、すぐにどうなるという話でもなかった。

こうなると時間がなかろうとお金がなかろうと弊社がブラックであろうと全てが二の次になるもので
毎月どこかの土日には必ず帰省しお見舞いに行くようになった。
ただ当然ながら、帰省中の食卓に母の料理が並ぶことはない。

毎月のお見舞いを何度か繰り返したところで一時的に退院できるという話になった。
寛解という説明を母から受けたが、その説明が事実だったかはわからない。
いずれにしても一時的に退院し、久々に母の料理が食卓に上がった。

ただ、その時の自分にはそれが最後になるという想像が、今思えば不思議なほどになかった。
その食卓は特別な、記憶すべき何かではなく、これからも続いていく食卓の1回でしかなかった。
なので何を食べたのか、どういう会話をしたのかは全く覚えていない。
病気で食事にも制限が付き、食べること自体が難しくなっていた母が
ほとんど口をつけていなかったことだけは覚えているのだが。

ほどなくして母は病院に戻ることになり、また何回かのお見舞いを経た後亡くなった。
亡くなった夜、病院に駆け付けた祖母から「次退院出来たらアレを作ってやりたい、コレを作ってやりたいという話ばかりしていた」と聞かされた。

自分にとって1分でも短くしたかった帰省は母にとっては大事な時間だったらしい。


■コロッケのレシピ

というのもだいぶ昔の話。
母の日が来ても今更心乱されることはない。

けれど、今はもう好物ではなくなったコロッケを見かけるたびに買い、やっぱり母のものより美味しいものはないなと落胆する。
おそらくこの欠落感は死ぬまで埋まることがないのだろう。

コロッケを作る時、いつも自分はパン粉をつける手伝いをしていた。
母が整形し、小麦粉をまぶし、卵液にくぐらせる。
そして自分は最後にパン粉をつける。
これだけは反抗期だろうと、気乗りのしない帰省の時だろうと、変わらず自分の仕事だった。
じゃがいもを蒸かし、玉ねぎとひき肉を炒め、じゃがいもと混ぜ合わせる。
その工程も横で見てはいたのにレシピを聞くことはついぞなかった。
作って貰えなくなる時がいつか来ることを知ってはいたはずなのに、想像は出来ていなかった。
あの味がもう一度食べられるなら、100万円払っても惜しくはないのだけれど。

今日の夕食はどこか、買ったことのない店のコロッケにしよう。
かさぶたを剥がすように。
きっとまた落胆するのだけれども。
posted by ポワロ at 02:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする