■父との会話
お前、どんな仕事がしたいんだ。
正確な表現は忘れてしまったけれど、父が運転する車の中でふと聞かれた。
そんな質問が出るくらいなのでまだ就職先が決まっていなかったタイミング、のはず。
表現も時期もあやふやではあるがどう回答したかははっきり覚えていて
「儲かる仕事」とだけ答えた。
それに対する父の反応もまた、よく覚えている。
「なんだそれ。そんなのつまんないだろう」
父は一国一城の主、ようするに自営業、で自分の好きなことで好きなように仕事をしている。
少なくとも当時の自分にはそう見えていた。
年がら年中仕事の父親とはあまり思い出がないという事情もあった。
あの人は仕事好き。
今にしてみれば、父は自分が思っていたほど自由ではなかった可能性が高い、そう思うが。
父は第一子が生まれるタイミングで仕事を変えていた。
元々やっていた仕事はクリエイティビティ溢れる、儲からないであろう仕事だった。
タイミングを思えば、妻子を養うためにもっと稼げる仕事に就いたというのは想像に容易い。
聞いたわけではないので本当のところは分からないが。
聞いておけばよかった。
ともあれ当時の自分はそういった事情に思いを馳せることもなく、
単純にイラっとした。
あなたは好きな仕事をしてて楽しいのかもしれないけれど
こっちは別にしたいことなんてないんだよ。
その気持ちのまま、あれやこれや賢しげに反論した。
養ってもらっている立場で噴飯物だが、
自分は父より賢く、合理的で、物の道理がわかっているとさえ思っていた。
「仕事なんて生活のためにやるもの」
「たくさん稼いでさっさとリタイアした方が幸せ」
そんなようなことを言った気がする。
さも合理的かのようにつらつらと述べてはいたが、内容はない。
実際には反論にもなってなかった。
父は怒ったり、反論したりはしなかった。
しなかったが、
「仕事は楽しければ頑張れるものだ」
そんなようなことだけ言った。そこで会話は終わった。
そんなような、というのは自分が右から左に聞き流していたからで
何を言われたか、実際のところかなり記憶があやふやだ。
父は父であると同時に、何十年と仕事を続けてきた先輩でもあった。
父からの最後のアドバイスだったかもしれないそれをきちんと聞いておくべきだった。
その後あれやこれやがあり、父との関係は断絶に近いものとなり、そのまま亡くなり、どういう気持ちで何を言ったかは最早確かめられない。
聞いておけばよかったと思うときにはいつも手遅れ。
墓に布団は着せられぬとかなんとか諺にまでなっているのに先人の後悔を学んでいなかった自分はバカだったと言わざるを得ない。
■仕事が辛い
いつかの車内から時は経ち、今やそれなりに仕事の経験を重ねた。
転職も何回かし、運よく、本当に運がよかったに尽きるが、それなりの給料ももらえるようになった。
が、どうにも辛い。
社会人になりたての頃、もしもxx円貰えるならこの生活だって苦じゃないんだけど、とふと思ったことがある。
その頃は1か月以上休みもなく、早朝に退勤して朝にまた出勤した。誤字ではない。
物理的に人が倒れるくらいの環境にいながら夢想したxx円の給与は、いつしか超えていた。
労働環境も労働時間も昔ほど過酷ではない。
が、辛いものは辛い。
辛い理由はさておくが、仕事人生において今が最良の時でないことは確かだ。
かつて「儲かる仕事」をしたいと、それが唯一賢明な選択であるかのように訳知り顔で父に言い放ったにも関わらず
給与は自分にとっては最優先ではなくなっていた。
給与は自分にとっては最優先ではなくなっていた。
事実、これまで転職の際に給与を理由にしたことはなかった。
自分の中で「これは嫌だ」という基準を作っておいて、その基準を満たした時に転職をしてきた。
自分では、何がしたいか、何を求めるかを明確にしていたつもりだったが
「嫌いなもの」は明確にしていても「好きなもの」は明確にしていなかったな、と今更に気づく。
嫌いなものの裏返しを好きなものだと思うようにしていたが、「嫌いなもの」の裏返しは「嫌いじゃないもの」でしかない。
仕事は人生の手段でしかない、という考えは一度もブレたことがないが
人生に対する影響度は大きく無視はできない。
決して最良ではない今を前にして自分はどうするべきか。
「仕事は楽しければ頑張れるものだ」と言った父に聞いてみたいがもう聞けない。
自分で考えるしかない。
父が亡くなってもう随分経ったが
病院に間に合わなかった時ではなく
空き物件になった父の店跡を通った時でもなく
空き家になった実家の前に立った時でもなく
今ようやく、父がもういないことを実感した。