■シン・エヴァンゲリオン公開
朝一早速見てきました。
場所と時間柄満席というほどではなかったですが、さすがに結構な入りでした。
それまでアニメに全く縁がなかったあの頃、エヴァによってオタクに引きずり込まれた
一人としてこれだけはまっさらな状態で見ておきたかった。
以下ネタバレありで感想書きなぐり。
■シンジが自分と向き合う旧作。その先を描くシン・エヴァンゲリオン
「初号機パイロットの欠けた自我をもって人々の補完を」
ゼーレのキール・ローレンツによるセリフですが、TV版・旧劇・コミックスいずれもシンジが自分の内面と向かい合って何らかの答えを出すのが
いずれの媒体でもエヴァの結末でした。
TV版では自己肯定。
旧劇・コミックスでは、自分と他者を違うものとして受け入れることでの自己確立。
いずれも自分の内面と決着をつけることがクライマックスで、それが終わった段階で速やかに、
唐突にも見える形で終劇となりました。
シン・エヴァンゲリオンではかなり長い尺を使って、シンジが寝ているか座り込んでいるか、
少し回復してからも殆ど何かを話すこともない時間をくどいくらい描写し続けます。
自分が起こしたことへのけじめ。
父親との対話。
レイ、アスカ、ミサトとの向き合い方。
こういった自分自身と向き合う作業を、旧劇やコミックにおけるサードインパクトのような極限状況に急かされてではなく、
かつての友人たちのサポートの中でゆっくりと完了します。
結果として再びエヴァに乗り込む時点で、欠けた自我の補完を完了させているのがシン・エヴァンゲリオンにおけるシンジです。
その発現が、
「綾波は綾波」という名付けに対する回答であり、
「自分で選ばなかったから」というアスカの怒りに対する理解であり、
「覚醒」「シンクロ率∞」と言うヒロイックな言葉に飾られた終盤であり、
ゲンドウのATフィールドにあっさりと手を伸ばす姿だと思います。
14歳で止まっていたシンジがその先に進んだのはこれが始めて(コミックス最終話のif世界はこれから歩みだそうとする姿)
だと思うので、見届けてよかったと思います。
こじつけ臭い話をすると、最後の目標である父親の対話。
ケンスケにも「父親と対話すべき」と言わせ、
「父子の対話」がきちんとされることはないまま終わってばかりだった過去作も越えて、
「恐怖や暴力で解決する話ではない」と
ロボット戦闘による決着をゲンドウが否定したのは、最後にして最大限の歩み寄りのように思えてよかったですね。
■綾波レイ
ひたすら農作業するアヤナミタイプが可愛い最初の20分くらい。
ありがとう。
さようなら。
涙。
みたいに綾波レイを象徴するシーンのキーワードを回収しつつ
名付けで「綾波は綾波だよ」と言わせた後に、黒いプラグスーツが白く変わるのはよかった。
Qで「綾波に似た何か」だったのが「別人だけどこれも綾波レイだよね」と認めた上での喪失が、シンジが再び立ち上がる契機に。
初搭乗→ラミエル→ゼルエル→今回と、シンジが覚悟決めるときは必ずレイが絡んでくるのである意味お約束。
一方TV版のカヲルだったり、劇中でも言及されたバルディエル戦なんかは覚悟を決めきれなかったので、その後の展開は必然辛いのだった。
後ロングヘアが思ったより似合ってました。
Qで影薄かった反動か、可愛いシーンをこれでもかと詰め込まれてたのでフィギュアとかいっぱい出そう。
■ミサト
たぶんQで一番株を下げてた人。
破の「行きなさいシンジくん!」がよかっただけに落差がひどかった。
破でああ言ったミサトとちゃんと陸続きになっていて、シンジに責任を負わせたことを悔いているのはよかったですね。
とはいえやっぱりQではもうちょっとコミュニケーションのしようがあったでしょう、という印象は拭えないものの
息子とも顔を合わせていなかったり、旧版から一貫した「不完全で臆病な大人」として見るとキャラがぶれていないとは言えるかも。
「シンジがエヴァに乗っていなかったらそもそも世界はとっくに終わってた」は言ってもらえてよかったけど、やっぱりQの態度が・・・ってなる。
旧劇のミサトは姉のような恋人のような立ち位置で死んでいきましたが、今回は明確に母親ポジションとして描かれていました。
実の息子とシンジが写った写真、母親代わりのミサトが問題解決のためのキーアイテムを命と引き換えに届け
実母であるユイがそれを用いてシンジを守ったあたりも「二人の母親」という印象を強く刷り込みました。
Q以降の髪型のほうが恰好いいんですけど、やっぱり昔の髪型に戻すことでクライマックス感が出てるのもいい演出。
■アスカ
「多分シンジのことが好きだったけど、私だけ先に大人になっちゃった」にシンジとの関係性が集約されている。
旧版だとメンタルが弱かった一方、新劇場版ではトップクラスにメンタルが強い。
旧版だと母親や加持といった依存先が必要だった一方でそういった素振りもなく(そもそも加持と接点がろくにない)、
エヴァパイロットであることに拠っているとはいえ旧版ほど病的ではなく。
表面的なキャラ描写は似通っていながら、設定的にも内面的にも旧版から一番変わったキャラじゃないでしょうか。
素っ裸をシンジに見られても動揺しないのは分かるものの、ケンスケに見られても平然としており
ケンスケも慣れた調子でタオルをかける・・・と怪しいところありましたが
どうもケンスケといい仲になっているらしく、このあたりも旧版からの大きな変更というサプライズ。
たしかに貞本エヴァ最終回で、アスカを見たケンスケが「すっげえかわいい子だったなあ」とか言ってましたけど。
ラストの駅ホームで談笑するレイ&カヲル、そこから少し離れてアスカがいたシーン、見落としましたが多分ケンスケが横にいたんですかね。
次見る時は見落とさないようにしたい。
成長したケンスケに、無精ひげも相まって加持さんがダブるのも意図的ですかね。
いやでもアスカとケンスケという組み合わせは想像しなかった・・・。
というかケンスケもう死んでいるものとばかり
■マリ
色々最後の最後でぶっこまれた人。
大まかな設定自体はコミックス同様、ゲンドウやユイの同級生で冬月の教え子・・・まではいいんですが
最後の最後で「イスカリオテのマリア」とかいう謎要素入ってきたり
シンジをかっさらっていったり、割とやりたい放題。
割と無敵キャラというか、好き放題やってあっさり死ぬか五体満足で生き残るかどっちかだとは思いましたが
シンジとカップリングするとは思わなかった。
レイでもアスカでもないんだ・・・みたいな。
なんだかんだもう12年選手なのでエヴァの歴史の半分くらいは登場してるんですが新キャラ感が持続してる。
アスカ/ケンスケ、シンジ/マリ、(微妙なところで)レイ/カヲルみたいな
カップリングを最後に立て続けに出されて、銀魂思い出してちょっと笑いそうになりました。
最終回発情期。
あんまりカップリングとか言う作品ではないので違和感が。
鬱々としたキャラが多い中一人だけ常時楽しそうで清涼剤のような役回り。
ロボットアクションとしての活躍はアスカとマリが一手に引き受けてました。
が、アクション動きすぎてよくわからない感。
■カヲル
最後までよくわからないヤツだった。
TV版での出会いの場所で対話してたり、TV版タイトル→旧劇場版タイトル→新劇場版タイトルと流す演出で
ループしてたんだろうな、というのは分かるんですが「渚司令」とかちょっと意味わからない。
でも出るだけでなんとなく嬉しいのは石田彰さんパワーだと思います。
客観的に見ると情報量少なすぎる謎キャラなんだけどな・・・!
■シンジ
「胸の大きい良い女」
お前誰だよ
声まで変わって、キャラも変わって本当誰だよってなりましたけど
中学生から14年(?)経てばキャラも変わるか・・・。
マリの手を引いて駆け出すシーンは、声も相まって「君の名は」とか始まっちゃいそうだった。
最後のインパクトが大きすぎますが、エヴァ再搭乗からの成長した感は本当に良かったですね。
エヴァ完結したんだな、と今度こそ思えました。
「まごころを君に」はちょっと解釈が難しすぎた。
最後の首絞め、20年以上たってもいまだに咀嚼できていない・・・。
ただ、あのラストがあったからこそ
あの時と同じ舞台でアスカに向かって「君のことを好きだったんだと思う」と笑いかけるシーンに感慨がありました。
旧劇場版を見ていない方はぜひ一度見てください。
■旧作からのシーン色々
TV版最終回、旧劇のラストシーン、コミックス最終巻のマリ話など
旧作からも色んなシーンが盛り込まれているので、エヴァを追い続けてきた人ほど
色んな発見があると思います。
さすがに山岸マユミや霧島マナはいなかったと思いますがどうかな…。
BD出たらゆっくり確認してみたいと思います。