2024年08月06日

FGO9周年に寄せて、或るいはただの恨み言

批判的な内容になりますので、不快に思われる方は見ないようご承知おきください。



■8/9 2回目のディレクターレターを受けて

新規アペンドスキルに関するディレクターレターが更新されました。
正直14日の生放送まで何のアクションもない、下手をすれば14日も既に出ているディレクターレターの内容から
何の進展もないことを想像していたので驚きました。

発表された内容の要約は下記の通り

@絆上昇時のコイン獲得量を見直し、15まで上げることで最大240枚のサーヴァントコインを追加で獲得できる様にする。
これにより、新規アペンドスキル獲得のために追加でのサーヴァント召喚は不要になる
A1の対応により追加召喚が無駄になってしまうため、既にコイン目的での追加召喚(星5の場合6体目以上)を
新規アペンドスキル発表以降に行った
プレイヤーへの補填として同一レアリティサーヴァントに使えるコインを配布する
B新規アペンドスキル発表以降に無記名霊記を使ってコイン目的での交換を行ったプレイヤーに対しては無記名霊基を補填する
Cこれらの実装には数か月を要する(一部なのか全部なのかは不明)

かなり踏み込んだ対応です。

もともと新規アペンドスキルの追加は追加でのサーヴァント召喚による売上獲得が、それだけではないにせよ、目的としてあったはずです。
今回の対応はそれを全て白紙に戻す内容です。

あえて言うなら
「7体目以降が求められないなら、福袋やデスティニー召喚で他のサーヴァントを選択したかった」という方や
「コインではなく石を返してほしい」という方、
「数か月も待たされたら、その間の使い勝手に不公平が生じる」という方もいると思うので
あらゆる不満が解決されたわけではありませんが、
おそらく殆どの方はこれで手打ちとして解決に向かっていくと思います。

嫌な言い方をすれば、先日の石配布から少しずつ生じていたプレイヤー間の分断、
「これだけ対応してくれたんだからもう許してやれよ」派と「まだ不満は解決していない」派の
軋轢がネット上では増え、後者がマイノリティとしてかき消されていくことが想像できます。

いずれにせよ、今回の対応においては殆ど誰も得をしませんでした。
ユーザーは120個の石と一部コインや聖杯の還元を受けられますが、
今回主に被害を被ったヘビーユーザーがこれまで費やしてきた費用や労力と比較すると正直どうでもいいような内容です。
全く影響を受けていないライトユーザーは唯一得をしていますが、その程度です。
そして運営は、石を配布し、元に戻すための対応に大きな工数を割き、何よりユーザーの信頼を大きく失いました。

先日時点では「今後コインが余ったとしても使えるか?」ということを記載させていただきましたが、
今後何の補填もなくコインの要求数だけが増える可能性は低くなったと考えています。

今回のアップデートによる補填や、ユーザーからの信頼毀損は運営にとっても想定を超える大きなダメージだったはずで、
だからこそこの異例の素早いアナウンスが行われていると思います。
今後どのような売上向上のための拡張をするにしても、今回の大炎上とその火消しにかかったコストの問題はついて回るでしょう。

ただしそれは「合理的に考えればそうするはず」という話で、
「運営ならばそんなことはしないはず。プレイヤーの側に立ってくれるはず」という心情的な信頼ではありません。

今後、10周年に向けてどういう形で運営が信頼回復を図っていくのか注視しつつ
サーヴァントコインに対するあれこれについて記載するのはこれを最後にしようと思います。

改修が間に合わないままボックスガチャとかやって
「アペンド5アルクだと周回楽です」みたいな煽りが出ないよう、切に祈ります。



---------------以下は8/6 初回ディレクターレター時の内容---------------

■最前線のプレイヤーに砂をかけるアップデート

FGO9周年、本来は新規サーヴァントやシステム改修で毎年盛り上がる一日。
その日、おそらくはリリース以来初めて周年イベントを見逃した。
前日に発売されたTCGのFGOサインカードを集めるために駆けずり回っていたからだ。

財布の中身を軽くする代わりに一通りのサインカードを集めて満足した帰り道。
嫌なキーワードが飛び込んできた。


新規アペンドスキル


―――え?


■問題点の整理

起きたことは大まかには以下の通り。
  • 新規アペンドスキルが追加され、サーヴァントコイン240個を追加で必要とする
  • 新規アペンドスキルは、キャラによっては大きく使い勝手を変えるほどの影響がある
  • 既存アペンドスキルやLv101以上への強化に使ったコインは補填されない
  • 不足したコインを入手するには星5サーヴァントで最低2体、追加で召喚する必要がある
  • 聖杯鋳造において、アペンド開放・Lv120完了時点で「強化余地あり」の表示を消していた。それを信じて鋳造に使用したコインは補填されない

これにより何が問題として発生するか。
深刻度の高いと思われるものから並べたのがこちら。

@聖杯鋳造で「もう使い道がない」と受け取られるような表記をしていたにも関わらず、追加でコインを必要とし補填もされない
A既存アペンドスキル解放やLv120への強化などを既に完了している熱心なプレイヤーほど、追加でサーヴァントを召喚しないと新規スキルを取得できない
B復刻が当分期待できないサーヴァントや配布サーヴァントなどについて追加召喚の機会が不明
Cフル強化までの必要召喚数の増加
D後述

発表翌日にはあまりのネガティブな反響からかディレクターレターが公開され
@については使用したコインの変換(ならびに聖杯鋳造の利用有無による不公平解消のため聖杯の配布)
Aについてはアペンドスキルの切り替え機能
での対応予定が発表された。

@については課金要素であるサーヴァントコインの処分を促すかのような表記をしていながら
後出しで用途を追加し「強化余地あり」に戻したことで消費者庁に相談すべき内容ではないか、との指摘も相次いだが
この対応で完全に解決をしたと言っていい。
一方A以降については完全な解決が出来ていない。

そのためA以降について詳しく整理してみる。


A既存アペンドスキル解放やLv120への強化などを既に完了している熱心なプレイヤーほど、追加でサーヴァントを召喚しないと新規スキルを取得できない

もともと、このアップデートにより被害を被ったプレイヤーにはいくつかのパターンがあった。

A.既存アペンドスキルの開放にコインを使用し、新規アペンドスキル用コインが不足している
B.LV101以上にレベルアップしてしまい、新規アペンドスキル用コインが不足している

いうまでもなく、AもBもキャラクターを限界まで強化しようと情熱や資金をかけているプレイヤーだ。
そのようなプレイヤーほどコインが不足しており、いざ有用なスキルが出た時に追加召喚を強制されるというのは
「先行者が泣きを見る」「頑張ったものほど馬鹿を見る」というやってはいけない施策だっただろう。

Aのパターンについては今後アペンドスキルの付け替えにより救済がされることが予定されている。
ただしBについては、残念ながら現時点では救済対象外となる。

もともとアペンドスキルはS2:NPチャージを除きほとんどのサーヴァントにおいて有用ではなかった。
そのため、S2だけ開放するか、場合によってはS2も開放せずLv120を目指してコインを使用したケースも少なくないだろう。
これにはいわゆる完全体(Lv120、すべてのアペンドスキルがMAX、そのほか諸々最大強化)を目指している途中のキャラクターも含まれる。
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※かつて完全体だったメルトリリス


ただし、追加されたアペンドスキルが強力なため、新スキルとの二者択一であればLv101以降の強化を選ばなかったキャラクターもいる。
これらについては現在、一切対応の予定がアナウンスされていない。
IMG_6715.jpg
※Lv120を途中まで進めていたドラコー

また、今回先にアペンドスキルを開放してしまった後でスキル付け替えが発表されたことにより、新しく被害を被る層が誕生した。

C.Lv101以上にすることを諦め、既存アペンドスキルに加えて新規アペンドスキルを取得した

例えばもともとすべてのアペンドスキルが開放されており、今回のアップデートでLv101以上の強化を諦め
新規アペンドスキル取得を優先したケースだ。
新規スキルの有用性を考えれば当然発生するケースだが、後からアペンドスキル付け替えが発表されたことで
「新規アペンドスキル+LV101以上の強化」を選択したかったのに「すべてのアペンドスキルを開放」してしまったキャラクターだ。
この場合も残念ながら対応予定はアナウンスされていない。

加えて、ディレクターレターの表現ではどこにかかるか不明瞭だが「開発には数か月が必要」と記載されており
Aのパターンへの救済が数か月単位かかることも危惧される。
情熱をもって出来ることを最大限やっていたが故に数か月不便を強いられることは率直に言ってストレスだ。


B復刻が当分期待できないサーヴァントや配布サーヴァントなどについて追加召喚の機会が不明

FGOではPUの頻度は決して高くない。
年単位で時間がかかることもざらであり、PU以外では福袋などで低い確率を狙うのも現実的ではないだろう。
にも関わらず追加召喚をしないとサーヴァントコインの入手が出来ない。

絆がまだ途中までしか上がっていないということであれば絆15まで強化することにより獲得は可能だが十分量ではない上に、
総要求量には届かないという問題がある。
配布サーヴァントに至ってはガチャによる召喚自体が不可能であるためイベントの復刻を待つしかない。
が、もともとサーヴァントコインの配布自体もキャラによっては年単位で待たされたという経緯があり
2025年に第2部終章を迎えるというがそれまでにPU/復刻が間に合うのかは不透明だ。

IMG_6689.jpg
※残すは絆のみで完全体になるはずだった両儀式


Cフル強化までの必要召喚数の増加

こちらについては、あくまで自己満足の世界として完全強化に必要な召喚数が増えただけの話ではある。
とはいえ、ゲーム内では宝具5までしかないのも関わらずサーヴァントコインのためだけに
星5でも最低宝具8が必要とされるのは心情的に許容しがたい。
星4や限定星3などでは必要数が膨大な数となり、星5以上に完全強化が難しいという逆転現象が起きている。






Dそしてこれからのこと


これまでの話を踏まえて。
それでもある人は溢れんばかりのキャラ愛で、あるいは幸運により追加のサーヴァントを召喚するかもしれない。


そうして得たコインを本当に使えるだろうか?


今度はもっと有用なスキルが来るかもしれない。
今度はレベルの更なる上限解放が来るかもしれない。
キャラの性能ではなく、別の側面から欲しくなるような要素を実装するかもしれない。
コインと引き換えに。

次は宝具10を、あるいはそれ以上を求められたときどこまで付き合えるだろうか。

この不安に対する唯一の解決策はプレイヤーと運営の信頼関係に尽きる。
運営は無茶な変更をしないはず。きっとプレイヤーに寄り添ってくれるはず。
私も、これまでであればそう信じていた。運営の合理性を、あるいは良心を。
だが9年目にしてFGOは残念ながらそれを一度実際に裏切った。
今後の対応方針においてもそれらを完全に修復できるような対応はいまだ提示されていない。

だからこそ私は、今回の騒動をこれまでの、リリース初期の惨状と比較してもなお最悪だと思っている。

この騒動を経ても運営を信じてついていける人は、あるいは課金のゴールポストがずらされても気にしないという人は
どれくらいいるだろうか。
相当にお金と時間をつぎ込んできた層に属すると思っているが、私自身はもう無理だ。


■終わりでも見てみないと

FGOは来年に2部も完結を迎えるという。
その先がどうなるか分からないが、今回のスキル追加や動く金額を思うと2部よりも先、FGOが続く可能性は高いように思う。

それまでに信頼関係が回復することはあるのだろうか。
終わりを気持ちよく迎えられるだろうか。
果たしてその先についていく気持ちになれるだろうか。
不安になるほどに、今回の件は暗いものを落としてしまった。

奇しくも2部完結予定の来年から見て丁度20年前
Fate hollow/ataraxiaにおいて

なにか、新しいもののために。終わりでも見てみないと

そう言って、Fateは一度綺麗にその幕を下ろしたはずだった。

これまで多くの作品で。インタビューで。
終わりの美学が一貫して語られていたと思っている。
だからこそどうか長かったFGOの旅が綺麗に終わってほしいと思う。

果たして10周年はどんな気持ちで迎えるのだろうか。



あらかじめ天井前提で課金もしておいて、本当に楽しみにしていたんだけどなあ。
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posted by ポワロ at 04:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月08日

いつか今日に戻るために

■特別な街

秋葉原に初めて来たのはまだ上京する前、2泊3日の旅行。
マクドナルドくらいしか開いてない早朝、それでも中央通りに立った時の興奮は覚えている。
遠く視界の果てまで続くギークな店構え。

あれから長い時が経った。
街は何度もその流行を変え自分自身も変わったが
それでも自分にとってホームというべき街であることは変わっていない。
と言いつつ、今は近くに住んでいないのだが。

さておき、特に変化が激しいこの街、昔の写真を見ると「こんな風景あったか?」と思うことがある。
自分は写真や動画を全く残しておらず、他の方が撮った古い動画を見たのだがまったく記憶にない店多数。
誇張ではなく365日朝から晩まで居た時期なのに。

もともと興味のあること以外極端に認識が下手な性質ではあるが、それにしても、というほどに覚えていない。
ただ、たしかにあの頃あったはずの風景を思い出せないのは寂しいと感じてしまう。

かねてよりGoogleMapでずっと昔まで遡れればいいのに、その中をVRで歩ければいいのに、と思っていたが
そんな折、vision proと空間ビデオが発表された。
iphone15 pro/pro maxならば撮影できるらしい。

pro.jpg
私はiphoneの新調を決めた。
そしてvision pro発売である。

■まだまだ発展途上の空間ビデオ、期待以上のパノラマ写真

発売から1週間、vision proは想像以上に使い倒すことになった。
正直少し映画見たら飽きると思ったのだけど。

あくまで映像視聴がベースで、ついでに何かをするハードという位置づけに我が家では収まっているが
これが滅法快適ですっかりホームシアターの出番が減ってしまった。
音響は比べものにはならないけれど、どこでも好きな場所で、好きな姿勢で、他のこともしながらの視聴は便利すぎる。

とは言え期待していたのは映像視聴だけではない。
わざわざiphoneまで更新したのは「今」を切り取って記録しておくため。

というわけで灼熱の秋葉原、日曜日、歩行者天国である。
事件が起きたりコロナが起きたりと何度も難しい時期を乗り越えて、毎週開催まで無事戻った歩行者天国。
これほどビデオを撮るのに向いた日もない。

というわけで早速撮影。
が。
image1.jpg
うーん。
いや確かに立体感がないわけではないんだけど、通常の動画とそこまで差を感じない。

更にはオリジナルのビデオよりなぜか視界が狭く設定される上にビデオサイズも固定されてしまい、ちょっと物足りなさを感じる。
やりたかったのは全画面投影による、その場にいるかのような体験。
Apple公式のサンプルで提供されたスポーツ観戦のビデオは素晴らしかったのであれを自分でも撮りたいのだけど、
画質やFPS以前に表示される動画サイズの時点で大きく制約があるのは残念。
正直これなら通常の動画でいいかな。
プロモーションされていたかのような、その場に手を伸ばしたくなるような存在感、には程遠いというのが感想。

一方、別にiphoneでなくともpro maxでなくとも撮れるただのパノラマ写真。
この機能ほとんど使ったことがなかったのだけどvision proで見るとこれが素晴らしい。
image0.jpg
これは正面のキャプチャですが、右を向けば右の、振り返れば後ろの風景をそのまま見ることが出来ます。

360°、画面いっぱいのサイズで表示されるパノラマ写真は静止画でこそあれ
まさにその場の風景を切り取ったかのよう。
撮影が難しく、人がいると変な風に人が重なって表示されがちなのは難点だけど。

遠いいつか。
このパノラマ写真を見返した時、2024年の七夕の暑さと共に懐かしく思うのだろう。
きっとその時にはまた大きく変わった街の風景と見比べながら。
その日のために暫くパノラマ写真を撮り続けよう。

パノラマ写真は誰でも撮れると思うので、vision proを使う機会があればぜひ一度試してほしい。
posted by ポワロ at 01:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月29日

夢の途中

■ヘッドマウントディスプレイとの長い付き合い

1995年、任天堂よりバーチャルボーイ発売。
Virtual-Boy-Set.png

私はこれを、今は無き故郷のジョーシン店頭で体験した。

前年にプレイステーションとセガサターンが発売されていた中で登場したこれは、
発売当時の子供から見ても厳しいものだった。
遊びづらいし、目に悪そうだし。
赤と青のフィルムを張った飛び出す眼鏡、何てのが大昔からあるが正直あれの延長線としか思えなかった。

ゲーム機なら大抵何でも持ってる金持ちのNでさえ、バーチャルボーイを買ったという自慢はしていなかった。

とはいえ、目の前にあるディスプレイを覗き込んで遊ぶという体験自体は唯一無二だったし、
その後の展開を思えば早すぎた代物だったのだと思う。


時は流れて2011年。
SONYからヘッドマウントディスプレイHMZ-T1が発売された。
HMZ01.jpg
目の前に映画館サイズをうたった代物で、HDMIで入力した映像を表示するディスプレイとしての機能だけだったが、
たまたまSONYのショールームで体験して物凄い衝撃を受けた。
深い黒の表現力、まさに映画館のような没入感。
その衝撃は、ショールームを出たその足でヨドバシに行き即予約するほどだった。
据え付けヘッドフォンが貧弱という問題はあったがそれ以外は大きな欠点もなく、個人的には思い出深い家電の上位になる。

このHMZ-T1には開発機のような立ち位置で外部カメラを搭載したバージョンがあり、
現実世界の映像と入力された映像を組み合わせるというようなデモをしていた記憶がある。
性能やコストの問題か後継機のHMZ-T2にも外部カメラが採用されることはなく、そのままブランドは終了してしまった。

続いてPSVRが2016年に発売。
話題にはなったものの買う人はあまりいなかったが、予約をして発売日に購入。
期待ほどタイトルは広まらなかったもののASTROBOTDéraciné、BEAT SABERといった
新時代の体験を感じたゲーム達が出たプラットフォームだったと思う。
ただし映画視聴用途としては、サイズこそ大きいもののお世辞にも画質がいいとは言えず実用に耐えず。

更にPCVRが4Kになったあたりでこちらも導入。
PSVRよりはいいものの、映画を見ようとはあまり思えない状態で
バーチャルな大画面による映画視聴はそろそろ諦め気味。


こうしてヘッドマウントディスプレイに相当するものはいろいろ体験してきましたが
こと映画視聴に関しては正直キチンと組んだホームシアターに勝るものなし、という結論。

家を建てたタイミングでそこそこしっかりした機材を入れて完成。
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なのですが、1つ達成したら人間次の欲が出るもの。

天井高や投影距離の都合で我が家では140インチスクリーンがせいぜいなのですが、欲を言えばもっと大きくしたい。
200インチくらいほしい。
ただ、そこまで大きいサイズにしようと思うと天井高を高くしないと無理だったりします。吹き抜けとか。
でも2軒目建てるプランは今のところないんだよな...

そんな事をつらつら思う最中の2023年。
AppleからVision Pro発表。
HMZ-Tシリーズが実現できなかったパススルー機能も搭載して。

前置きが長くなりましたが、ようやく届きました。
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長かった。
よほどアメリカまで買いに行こうか考えもしましたが、近視の関係でレンズも用意しなければならず
国外で買うといろいろ面倒くさくなるのが目に見えていたので断念。


■60万の価値は

アメリカでの価格は3499$。
発表時のレートで50万前半。
日本とアメリカの物価差なども考え、ジャスト50万にしてくる可能性もあるんじゃないか・・・と
期待していましたが蓋を開けてみれば60万円から。
近視用のレンズも買うとさらにドン。

この値段はなー...と思う一方で、ホームシアター用にプロジェクター、スクリーン、サラウンドシステム等を揃えれば
もっとするのでそう考えると高すぎる、ということもないか・・・?という判断。

今回、vision proに求めたのは既にあるホームシアターシステムを超えるとは言わなくても
シーンによっては利用出来るくらいの映画視聴体験ができるか、の一点に尽きます。

十分な画質で、妥協できる音質で、140インチを超えていくようなサイズを投影できればいい。

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というわけで早速、既存のスクリーンに重ねる形で映画を映していくことに。

スクリーンショットだとかなり荒いですが、実際の画質はかなり綺麗。ここに関しては文句なし。
とはいえ、パススルーによる現実の風景は少々期待以下。
既にパススルーを実現していたMeta社のQUEST3を試した時もパススルー画質には不満があり、
それよりはだいぶマシだとは思うものの、パススルーを通じて現実の映像を見たいとは思わないかな。


重ね合わせた最大長がこちら。
image2.png
現実の映像を消してバーチャルな背景にすることで天井などの干渉も無視できるので、140インチを優に超えるサイズ感での投影が可能でした。
ただし、視野角がどうしても狭いので現実以上に大きすぎる画面が見づらいという問題があり。
大きいスクリーンで楽しむ、という目的であればやはりリアルなホームシアターシステムに勝るものはないかと思います。

ただ期待以上だったのは音質で、十分利用に耐えうるものでした。
画質も十分なので、寝転んで映画を見たりといった用途には向いていると思います。


■意外と楽しい映画以外の使い方
image6.png
もともと映画が満足する品質で見られればそれでいい、というだけだったのですが
意外と面白いと思ったのがアプリを好きな位置にセットして無数に展開する機能。
TV曲のコントロールルームみたいな、無数のディスプレイが並んでいる環境を簡単に作れます。
Primeのアプリは1個しか開けないみたいだけど。

現実の映像ともミックスして出すことができるので、
現実のモニタを操作しつつ
モニタ右にバーチャルブラウザで動画を流し
左にはバーチャル空間上のDiscordを配置し
特大ポスターのように画像を壁にセット、みたいなことがなかなか面白い。

空間を自由に使う、というのはこれまでにない体験でした。


■で、結局流行るの?

まだまだ出来ることを試しはじめたばかりなものの、パススルーの画質を覗いては大きな不満はないvision pro。
細かい問題はありますが、すでに発表されているvision OS2である程度改善は期待できます。

けれどこれが普及するかというと、まあ難しいだろうなと思います。
価格、パススルー画質、操作性、対応アプリの拡充、
このあたりは次の世代では改善することは期待できます。

ただし、仮に値段が10万になっても、パススルー画質が現実同様クリアになっても、操作が簡単で対応アプリが増えても
これくらい大きい機械をわざわざ被るというのはそれだけで億劫なもの。
これまで多くのHMD機器を使ってきて、これだけはどの製品も克服できていない致命的な問題だと思います。

Appleはスマートグラスも開発していると報じられており、X REAL AIRなど既に製品化されているスマートグラスもあります。
こちらはこちらで試した範囲ではまだ物足りないのですが、いずれ現在のVision Proと同等以上の体験を
提供できるスマートグラスが発売されたなら、その時は夢見たものが実現するのではないかと期待しています。

まだ夢の途中という感想のvision pro。
とはいえ、確かに少し先の未来を先取りできる気分を味わえるので
しばらくいじり倒してみたいところ。
posted by ポワロ at 03:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月17日

if then else end

■差し出されたものに。

近所に個人経営の珈琲店がある。
こだわりのお店らしく、厳選した豆を挽きたてのうちに販売してくれるというものだ。
量販店で売ってるような豆と比べると些か値段は張るが、素人にも品質が違うことは分かり
ここ1年かそこら、月に1,2度のペースで利用をしていた。

していた。

ある日、購入した豆とは別に2,3杯分程度の少量の豆を一緒に包んでくれた。
新しい豆で、私が普段よく買っている豆と味の傾向が近いらしい。
よろしければお試しください、と控えめに老店主は差し出してくれた。

私は。
この店の豆がいかに気に入ってるかを饒舌に語り、
店主のこだわりを語ってもらえるよう水を向け、
頂いたサービスに深く礼をし。

そしてその日以降、店に足が向かなくなった。


■いい店だったのに

ネット上に次のような内容のスレッドがある。
いきつけの定食屋で「いつもありがとう」と言われたのが原因で「もう行けない」というものだ。

私は、強く共感する。

友人とも何かの折に似た様な会話をして、共感を得たことがあった。
わかるわかる。あれ、もう無理になっちゃうよね。

勿論そう感じない人もいる事は理解しているものの、その気持ち自体は誰もが共感し得るくらい当たり前のことだと思っていた。
「自分はそうは思わないけど、そう思う人もいる事はわかるよ」みたいな。
が、どうやらそうではないらしい。
世の、決して少なくない人間にとってこの気持ちは完全に理解の埒外であるらしい。

そんなバカな。

しかし、改めて何故と問われると自分自身、理由が判然としないことに気づく。
当たり前すぎて理由を考える事すらしなかったが、なぜ自分は「無理」なのか。

どうして自分は、これを書いている今もなお、あの珈琲店に足が向かないままなのか。


■覚えられるのは構わないけれど

「行きつけの店で声をかけられるのが嫌」というのも、どうやら複数のパターンがあるようだ。

一つは、覚えられていること自体が嫌というケース。

ただし個人的にはこれは当てはまらない。
例えばコンビニのような小規模な店で毎回同じものを買っていれば嫌でも覚えられるだろうし
あだ名の一つもつけられているかもしれない。
けれどそれは、地球の裏側で起きていることに対して共感するのが難しいように、
自分の知らないところで自分が覚えられていようと、どう思われていようと気にすることは逆に難しい。

そしてもう一つ、異なるケースがある。
定義済処理から外れる事へのストレスだ。


■分岐処理

客であるという立場を笠に着て横柄に振舞う人がいる。
あれには眉をひそめてしまう。
我も人、彼も人。
そこに構造上の優位性が生まれるのだとしても相手を尊重した振舞いをすべきだと思う。

一方で、相手を一人の人間として認識し尊重しながら、まるで自動販売機のように関心を持たない矛盾がある。

相手を、機能を提供するインターフェースとして扱っているのだろう。
商品を売る、サービスを提供する、といった機能を果たすことだけを相手に求めている。
それは自分自身さえも例外ではなく、主には代金を払うという機能を、恙なく果たすことに専念している。
機能と機能の交換を滞りなく果たすにあたり、ルールに沿ってさえいれば余分なことを考える必要はない。
これをください。支払いはカードでお願いします。ポイントカードは結構です。ビニール袋もいただけますか。ありがとうございます。

だが、そこにコミュニケーションが生まれると例外処理が発生する。

「いつもありがとう」
お礼の言葉に対してなんと返すのが適切か?

「よければこの珈琲豆も試してみてください」
ちょっとしたおまけに対しどう反応するのがふさわしいか?
行く頻度を増やした方がいいのか?ついでに一品買うべきか?

急遽想定していない判断処理が発生し、脳は過負荷に陥る。
プログラムは想定されていないデータが入力されればエラーに陥る。
それを回避するため、急遽入力された値に対して分岐処理を追加しなければいけない。

「いつもありがとう」
この店の豆がいかに気に入ってるかを饒舌に語る、処理を追加する。
「よければこの珈琲豆も試してみてください」
店主のこだわりを語ってもらえるよう水を向ける、処理を追加する。
頂いたサービスに深く礼をし、処理終了。

長年こうして生きてきた、この道のプロだ。ここまでのコーディングは高速に行える。
おそらく傍目にはそこにタイムラグはないだろう。
最初から用意してあったかのように。あるいは処理など必要とせずにアドリブで返しているように。
それでも急なコード修正に脳はクタクタで、次回以降もこれが発生する可能性を思えば足は遠ざかる。


結局のところ。
コミュニケーションが自動的である癖に、
事前定義から外れたデータを無視もできず、
咄嗟に例外処理を組んでしまう程度には人にいい顔がしたいのだろう。

そうして私は、また来ますと言って去った店にもう行かなくなる。



まあだから、どうという話でもない。
今更何か直せるような話でも、直そうと思う話でもない。
ただ自分が何を思い、なぜそうするのかが分かったという、ただそれだけの話。
posted by ポワロ at 01:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月14日

ミルクセーキ

■甘さ控えめではない

ミルクセーキという飲み物がある。
牛乳、卵に砂糖、ちょっと気を利かせるなら更にバニラエッセンスを加えて混ぜるだけのシンプルな飲み物だ。


近年では少し時期もズレたようだが、私が中学生の頃は12月あたりから雪が降り始め2月過ぎまで積もったままだった。
そうなると登下校は自転車から徒歩になり、月に1度程度雪かき当番がある。
まだ暗いうちから家を出て吹雪の中登校するのだが、それは今回重要ではない。

その日、自転車に乗っていた。
なので時期的には雪が降りだす前、11月末というあたりだろうか。
吹き付ける風に唇の震えが止まらなかった、あの寒さを昨日のことのように覚えている。

私は部活動でハブられていた。


■右に同じ

通っていた中学では部活動参加が義務付けられていた。
演奏がしたい、将棋が好きだ、家庭科に興味がある、そういった強い希望を持つ生徒は文科系の部活に入る。
あるいは運動神経に自信がある生徒、人より目立ちたい生徒はバスケットやサッカー、テニスのような花形部活に入る。
そのどちらでもないごく普通の生徒は、なんとなくそれ以外の運動部に入るのがお決まりだった。
花形部活はついていけそうにないけど、文科系は暗そうだから。
明文化されることのない、あるかないか分からない「空気」に従う生徒が大半で、私もその例に漏れなかった。
そうやって消極的に、消去法的に選ばれた部活動には似たような生徒が集まるもので、上級生から下級生まで等しく似た者同士だった。

あまり主張せず、目立たず、皆と異なることを嫌う。
昼食となればクラスで机を寄せ合い、一人で食べたりはしない。
道を歩けば全員が横並びで、自分だけが列から外れることを厭う。

改めて思い出すと笑いが出るが、中学生の自分にとっては切実な処世術だった。
ウン年後のお前は、一人焼肉も一人居酒屋も一人遊園地だってやってるぞ。一人ベイブレードはまだだけど。

閑話休題。
部活動は別に面白くもなかったが、そこは悪目立ちしたくない一心でやっているものばかり。
さぼる人間もおらず、風邪でもなければ毎日の放課後を義務的に消化していた。

とは言えそれなりの人数が集まればイレギュラーは発生するもの。
二人、部活には来るが練習には全く出ない同級生がいた。
苗字が少々珍しいので、便宜上X、Yとする。

XとYは、部室に籠って雑誌を読んでいるのが常だった。
部室には来ているのだが練習している姿を見たことはなく、練習が終わる頃にはいつのまにかいなくなっていた。
不良と言うほどではないものの少々物言いが乱暴。
少なくとも部活動というコミュニティにおいては「皆と違う」タイプであり、親しくすることもまた「皆と違う」ことを意味していた。


■人の噂も75日

中1は過ぎ、中2になってすぐ上級生は1回戦負けの引退、さて最上級生だというのもつかの間
あっという間に自分たちの引退も見えてきた中2の11月。
私は部活動でハブられていた。

今となっては理由は全く覚えていないが、部活全体からハブられていたことを思うに何かしら自分に非があったのだろう。
あるいは、単に攻撃出来る理由があっただけかもしれないが。
いずれにしても皆と同じであるために入った部活動において、分かりやすく孤立した事は中学2年生の自分にとっては辛いことだった。
帰り道「人の噂も75日」とボヤきながら、嵐が過ぎ去るのを耐え忍んでいたことを覚えている。

そんな日々を1週間、1か月、あるいはもっと続けた後、ある日我慢しきれず大泣きをした。

おおびっくり。こんなに泣けるものか。
中学生にもなると泣くのは恥ずかしいという自尊心があり、泣くことなど早々あるものではない。
だが泣いた。
正確には、涙がこらえられないことを悟ると競技場から逃げ出し、部室に駆け込んだ。

XとYがいつも通り雑誌を読んでいた。

探せば誰もいない場所もあったのかもしれないが、冷静にそこまで考えるほどの余裕があれば泣いてなどいない。
腹痛を我慢して我慢してようやくトイレに入った時のように、部室に入った自分はもう泣くことが止められなかった。
さすがにXもYも雑誌を読むのを止めていた。

目の前に大泣きする人間がいたらどんな対応を取れるだろうか。
見なかったことにしてその場を離れるか、とりあえず声をかけるかのせいぜい二つだろう。
そして二人は後者を選択した。

なぜ自分がハブられていたのか一切思い出せないので、
その時二人にどんな話をしたのかも当然ながら全く覚えていない。

ただし二人の反応は覚えている。
怒った。
こちらがちょっと引くくらいの勢いで怒った。
部活動に来ても部室に籠りきりだった二人は、私がハブられていることも全く知らなかったようで
これまでのあれこれを聞くや激怒した。

え?そんな怒る?
別に友達とかでもなかったよね?
というかちゃんと話すの自体これが初では?

今から部活に乗り込んで暴れ出しそうな勢いだったので、逆にこっちが止めることになった。
いや自分が悪いんだよとかなんとか言ったかもしれない。
二人をなだめるのに必死なうちに涙は止まっていた。

説得のかいあってか、あるいはそういうポーズをとっただけだったのか、いずれにせよ二人は殴り込みを思いとどまった。
ほっと一安心、空気が弛緩したところで
「じゃあ帰るか」
まだ部活中なんだけど?

―――帰ることになった。


■ミルクセーキ

思えば部活動への所属は必須であっても部活への参加は必須ではないので、別に休もうが帰ろうがそれは自由な話だった。
ましてうちの部活動は顧問もほとんど来ないので、参加はあくまで生徒の自由意思だった。
しかし部活途中で帰るという発想はなかった。
なにせ皆が毎日参加して、練習終わりまで残っている。
そこを自分だけが抜け出すなんてことをすれば浮いてしまう。皆と同じではなくなってしまう。
人と違うことはしたくない。たとえハブられていて、針の筵のような時間にあっても。
あるいは、部活動を早退して家に帰ることで親に心配をかけたくないという気持ちがあったのかもしれない。

けれどその時、「帰るか」という言葉に自分は何の抵抗もなく乗った。
そうか、帰っていいのか。

そうして、2年以上同じ部活にいたのにほとんど会話したこともない同級生と並んで自転車に乗っていた。
違和感しかない。

何か相談したわけでもなく、校門を出たところで自然と「じゃあどこにいく?」という話になった。
しかしこちらは部活早退初心者、この時間からどこかにいく選択肢を持ちあわせていない。
黙っていると、XとYは二人がよく行くルートに連れて行ってくれた。

来た事のない書店の、店先にあるアーケード筐体。
今はあまり見かけないが、4つのゲームが入っていて選べるようになっていた。
別に買うものもないようなホームセンター。
板とか見てどうするんだ?
エトセトラエトセトラ。
二人の家にも行ったが、家族が帰ってきたところでお暇した。
二人にも色々あったのだろう。
そして最後に、二人の家の近くにある公園に到着した。
それまで、二人が中学のすぐ近くに住んでいることも、小学生からの友人同士であることも知らなかった。

寒かった。
まだ雪は降っていなかったが吹き付ける風は痛く、唇の震えは止まらなかった。

XだったかYだったか、近くの自販機で買ってきたホットドリンクを投げよこしてきた。
ミルクセーキという聞きなれないドリンクだった。
二人のおすすめだというそれは、中学生の自分でも甘すぎた。
けれど、暖かだった。


■冴えないその後

物語であれば、XとYとは以降無二の親友となり、大人になってからミルクセーキを一緒に飲むところだが
生憎そうはならなかった。

始まった理由も思い出せない部活動でのハブりは、やはり終わった理由も思い出せないまま唐突に解決した。
覚えていないだけで私が何かしたのかもしれないし、あるいは特に理由もなかったのかもしれない。
75日は続かなかったと思う。

そうして「皆と同じ」に戻れた自分はどうしたのかというと、どうもしなかった。
自分をハブってきた皆と決別することもなく、苦しい時助けてくれた二人との距離を詰めることもなく。
ただ漫然と中学を卒業し、皆とも二人とも別れ、新しい人間関係を構築した。

全く冴えない顛末だと思う。
それでも、あの時のミルクセーキの暖かさを忘れることはないだろう。



それはそうとして、ミルクセーキとは本来冷たい飲み物らしい。
それでも自分はホットのミルクセーキこそ本物であると言いたい。
寒かったあの日、確かに暖かさが嬉しかったから。
posted by ポワロ at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする